日本最初の喫茶店。 [散歩]
創設者は鄭永慶(ていえいけい)。
安政6年(1859)鄭永慶は長崎に生まれてます。
永慶の家は長崎で代々、唐通事(中国語の通訳官)の家柄で、
14歳ですでに英・仏・支那の3か国語をマスターしています。
明治7年(1874)、16歳で渡米し、ニューヨークのエール大学に学びます。
この時の同窓の中の一人に鳩山和夫の名前があったので、
もしかしてと思い調べてみたら総理大臣・鳩山由紀夫は曾孫になるそうです。
「あんな表面だけの欧化主義で馬鹿騒ぎをしている社交場なぞとは違った
大衆庶民や学生の為の社交サロン」をという信念で作られたそうです。
【追記】社交場とは鹿鳴館の事を言っています。
【注】
記事の製作途中で「公開」のままで保存したようです。
ご訪問された方にはお詫び致します。
安政6年(1859)鄭永慶は長崎に生まれてます。
永慶の家は長崎で代々、唐通事(中国語の通訳官)の家柄で、
14歳ですでに英・仏・支那の3か国語をマスターしています。
明治7年(1874)、16歳で渡米し、ニューヨークのエール大学に学びます。
この時の同窓の中の一人に鳩山和夫の名前があったので、
もしかしてと思い調べてみたら総理大臣・鳩山由紀夫は曾孫になるそうです。
「あんな表面だけの欧化主義で馬鹿騒ぎをしている社交場なぞとは違った
大衆庶民や学生の為の社交サロン」をという信念で作られたそうです。
【追記】社交場とは鹿鳴館の事を言っています。
【注】
記事の製作途中で「公開」のままで保存したようです。
ご訪問された方にはお詫び致します。
喫茶店の元祖は「可否茶館」なんですね。
可否茶=コーヒー、ですよね。
コーヒー茶の当て字だったのでしょうか。
鶴岡でも、昔ながらの喫茶店が少なくなりました。
スターバックスに代表される、コーヒー店の影響でしょうか。
それとも、生活にゆとりが無くなったせいでしょうか。
(今日は疑問が多くてすみません)
by Around50 (2009-09-17 21:32)
本当に、昔からののんびりして
ゆっくりくつろげる喫茶店が少なくなりましたね。
コーヒーだけではやっていけないのでしょうかね。
by 空兵ーS (2009-09-17 22:11)
個人経営の小さな喫茶店って 好きです。
でもなかなか行けないです。
もっと通わなくては・・と
思えるお店が盛岡には結構あります。
by ANKO (2009-09-18 15:10)
Around50さん、コメントありがとうございました。
珈琲は今も使われていますが、
調べて見ると江戸時代後期にはもう有ったそうです。
では何故、可否茶としたか謎ですね。
何かこだわりがあったのかもしれませんね。
あくまでも推測ですが。
昔の様な喫茶店が少なくなったのは寂しいですね。
by stone-9 (2009-09-18 21:15)
空兵ーSさん、コメントありがとうございました。
JAZZ喫茶という言葉は無くなっていくのでしょうか。
もっと古くは「うたごえ喫茶」というのもありましたね。
時代の変化、流れなのでしょうか。
by stone-9 (2009-09-18 21:34)
ANKOさん、こめんとありがとうございました。
マスターが一人で頑張っているお店、雰囲気があって良いものですね。
こだわりがあって、でも声を掛けると以外に気さくな方だったりして。
by stone-9 (2009-09-18 21:40)
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