音楽の事など - 続き [Oldies Music]
最初はジャズ・ボーカルが好きだったスコット・マッケンジーは、
この曲を書いたジョン・フィリップス(John Phillips)と50年代中頃に出会い、
ボーカル・グループ「The Abstracts」(4人編成)を結成しました。
1959年、初めてニューヨークへ進出し、「The Smoothies」にグループ名を変えて、
ナイトクラブに出演し、翌年にはシングルレコードを何枚か出します。
(曲を聴いたことが無いのではっきりした事はわかりませんが、
「ドゥーワップ」を歌っていたようです。)
ところが、その頃フォーク・ソング・レコードが売れていて、ギターを弾いていた二人は、
バンジョウ奏者を加えたフォーク・トリオ「The Journeymen」を再結成し、
1961年から3枚のアルバムを出します。
その間にボブ・ディラン(Bob Dylan)、ビートルズ(The Beatles)が登場、
音楽シーンも変動していきます。
ジョン・フィリップスはエレキ・ギターに変えて新しいメンバーと共に
「ママス・アンド・パパス」「The Mamas & The Papas」を結成します。
歌唱力のあったスコット・マッケンジーは、
ソロ活動を希望して、グループには残らなかったようです。
1965年、ジョン・フィリップスとメンバーの一人で、妻のミッシェルと共作したデビュー曲、
「カリフォルニア・ドリーミン’」(Carifornia Dreamin')がいきなり全米4位となり、
2枚目のシングル「マンデイ・マンデイ」(Manday Manday) でついに全米1位となります。
二人の出会いから10年程を大雑把にまとめてきましたが、同じ時期のアメリカ国内では
1950年代中頃に始まった公民権運動が、
1964年の公民権法制定によって一応決着していました。
そのころ南ヴェトナムを支援してきたアメリカは1965年、
ついに「北爆」を開始して、地上軍を送り込みます。
しかし状況は泥沼化するばかり、反戦運動がアメリカ全土に広がっていきます。
1967年10月22日に米国防省(ペンタゴン)前で行われた反戦集会で、
憲兵隊の銃口にカーネーションの花を挿しているデモ隊の青年の姿を撮った
「Flower Power」と題された写真が発表されます。
Bernie Boston
http://www.eastmanhouse.org/inc/exhibitions/BBoston_Infosheet.pdf
ニューヨークから来たこの18歳の青年は、俳優のタマゴだったそうです。
人々は彼らを「フラワー・チルドレン」と呼びました。
既成の価値観に捉われないで、愛と平和、音楽や芸術を愛する
ヒッピー「Hippie」たちも「武器よりも花を」とベトナム戦争に抗議します。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Flower_Power_demonstrator.jpg
これらの一連の動きが、世界中をヴェトナム反戦へと導いたと言えるのではないでしょうか。
1967年は「フラワームーブメント」の始まりと言われ、
後に「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれるようになりました。
「フラワームーブメント」の「聖地」だったサンフランシスコで開かれた、
モントレー・ポップ・フェスティバルの最終日(1967年6月18日)、
最後のグループ「The Mamas & Papas」のメンバー、キャス・エリオットに紹介されて歌う
スコット・マッケンジーの「San Francisco 」は
その時代の象徴のように思えてなりません。
最後にもう説明など要らない、「San Francisco」のブリッジ(サビ)の歌詞です。
All across the nation,
such a strange vibration
People in motion
There’s a whole generation,
with a new explanation
People in motion, people in motion
この記事を書いている途中にマイケル・ジャクソンの悲報が飛び込んできました。
哀悼の意を表します。
この曲を書いたジョン・フィリップス(John Phillips)と50年代中頃に出会い、
ボーカル・グループ「The Abstracts」(4人編成)を結成しました。
1959年、初めてニューヨークへ進出し、「The Smoothies」にグループ名を変えて、
ナイトクラブに出演し、翌年にはシングルレコードを何枚か出します。
(曲を聴いたことが無いのではっきりした事はわかりませんが、
「ドゥーワップ」を歌っていたようです。)
ところが、その頃フォーク・ソング・レコードが売れていて、ギターを弾いていた二人は、
バンジョウ奏者を加えたフォーク・トリオ「The Journeymen」を再結成し、
1961年から3枚のアルバムを出します。
その間にボブ・ディラン(Bob Dylan)、ビートルズ(The Beatles)が登場、
音楽シーンも変動していきます。
ジョン・フィリップスはエレキ・ギターに変えて新しいメンバーと共に
「ママス・アンド・パパス」「The Mamas & The Papas」を結成します。
歌唱力のあったスコット・マッケンジーは、
ソロ活動を希望して、グループには残らなかったようです。
1965年、ジョン・フィリップスとメンバーの一人で、妻のミッシェルと共作したデビュー曲、
「カリフォルニア・ドリーミン’」(Carifornia Dreamin')がいきなり全米4位となり、
2枚目のシングル「マンデイ・マンデイ」(Manday Manday) でついに全米1位となります。
二人の出会いから10年程を大雑把にまとめてきましたが、同じ時期のアメリカ国内では
1950年代中頃に始まった公民権運動が、
1964年の公民権法制定によって一応決着していました。
そのころ南ヴェトナムを支援してきたアメリカは1965年、
ついに「北爆」を開始して、地上軍を送り込みます。
しかし状況は泥沼化するばかり、反戦運動がアメリカ全土に広がっていきます。
1967年10月22日に米国防省(ペンタゴン)前で行われた反戦集会で、
憲兵隊の銃口にカーネーションの花を挿しているデモ隊の青年の姿を撮った
「Flower Power」と題された写真が発表されます。
Bernie Boston
http://www.eastmanhouse.org/inc/exhibitions/BBoston_Infosheet.pdf
ニューヨークから来たこの18歳の青年は、俳優のタマゴだったそうです。
人々は彼らを「フラワー・チルドレン」と呼びました。
既成の価値観に捉われないで、愛と平和、音楽や芸術を愛する
ヒッピー「Hippie」たちも「武器よりも花を」とベトナム戦争に抗議します。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Flower_Power_demonstrator.jpg
これらの一連の動きが、世界中をヴェトナム反戦へと導いたと言えるのではないでしょうか。
1967年は「フラワームーブメント」の始まりと言われ、
後に「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれるようになりました。
「フラワームーブメント」の「聖地」だったサンフランシスコで開かれた、
モントレー・ポップ・フェスティバルの最終日(1967年6月18日)、
最後のグループ「The Mamas & Papas」のメンバー、キャス・エリオットに紹介されて歌う
スコット・マッケンジーの「San Francisco 」は
その時代の象徴のように思えてなりません。
最後にもう説明など要らない、「San Francisco」のブリッジ(サビ)の歌詞です。
All across the nation,
such a strange vibration
People in motion
There’s a whole generation,
with a new explanation
People in motion, people in motion
この記事を書いている途中にマイケル・ジャクソンの悲報が飛び込んできました。
哀悼の意を表します。
2009-06-28 21:45
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コメント(4)
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日本では学生運動が
胎動しかけていた頃でしょうかね。
by 空兵ーS (2009-06-28 21:52)
空兵ーSさん、早速のコメントありがとうございます。
そのようです。
少なくとも日本の青年にも多大な影響を与えたと思います。
私もその一人です。
by stone-9 (2009-06-28 22:01)
こんばんは。
懐かしい音楽、堪能させて頂きました^^
有難う御座居ます。
by 絵瑠 (2009-06-28 23:23)
絵瑠さん、コメントありがとうございました。
そう言ってもらうと、初めてよかったと思います。
次回もガンバリます。
by stone-9 (2009-06-29 08:19)